かつて、熊本市の藤崎八旛宮は熊本城の西隣の藤崎台にありました。
私どもの祖先はその鳥居元として、
毎年同宮の秋季大祭に獅子舞を奉納してきました。
西南戦争で同宮が消失し、
現在の井川淵町に移転した後も変わらず奉納し続けています。

新町獅子は、熊本城築城とともに誕生したと言い伝えられています。
新町獅子の誕生に関する文献は今のところ見当たらないのですが、次のような資料があります。
細川家の資料「永青文庫」です。そこに、新町獅子について書かれている箇所があります。

そこには、

「(前略)新壱丁目より獅子を差出来候処、及中絶、今年迄六十一年に相成候由、
(中略)寛政五年八月」(市井雑式草書 乾・二九)

・・とあり、この年、寛政5年(1793年)から61年を引くと享保17年(1732年)となり、
この時代には新町獅子は確立されていたことになります。

江戸時代の新町獅子がどのようなものだったかは、
当時の絵巻物に中国風のデザインと服装が観られます。
その名残が現在の女の子の「唐人」姿で残っているのでしょう。